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Fiat G.50は第二次世界大戦直前から第二次世界大戦中にかけてイタリアで生産された全金属製・単発単葉の単座戦闘機である。 == 概要 == G.50の設計は1935年にフィアット社で始まった。翌1936年には空軍からの仕様変更命令を受け、同時期に試作機戦闘機の競作を行っていたマッキ社やレッジアーネ社より10カ月も早く1937年2月に初飛行した。この際パイロットから飛行特性に難ありとの報告を受けたが翌1938年から量産開始され、スペイン内戦で実戦テストされた。ただし、その性能はライバル機とされたMC.200より劣っていた。カウリング形状や開放式コクピットなど空気抵抗の多い機体で洗練されたものとはいえなかった。 全金属製とはいうものの舵部分は布張りである。エンジンにはA.74 RC38空冷エンジン(840hp)を採用し、武装は12.7mm機関銃を2丁搭載した。 第二次世界大戦初期のイタリア空軍における主力戦闘機の内の一機であり、地中海やギリシャ方面に展開した。バトルオブブリテンにも投入されたが、低速で武装が弱かった為戦果をあげることは出来なかった。1941年以降は戦闘機としての任務から外れ、戦闘爆撃機として利用されるようになった。 総生産機数は782機で、この中には複座にした練習機型も含まれている。また35機がフィンランドに売却され、こちらは1939年12月から1940年6月にかけ33機(2機は輸送途中で喪失)を受領し、フィンランド空軍第26戦隊に配備され冬戦争では1機の損失と引き換えにソ連機11機を撃墜、継続戦争においては12機の損失に対し88機を撃墜、エースも輩出し終戦まで実戦配備についていた。〔ミリタリー選書23 『フィンランド軍入門』 齋木伸生著 (イカロス出版 2007年)参照〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「G.50 (航空機)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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